興味の壺

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中島 四式戦闘機 疾風

陸軍四式戦「疾風」(注1)は、知覧特攻平和会館の小さな展示空間に閉じこまれていた。旧帝国陸軍の期待を一身に背負い、英知を絞って生まれた機体が、忘れられたように置かれている。

中島 四式戦闘機 疾風 撮影:1973/10/15
場所:入間飛行場 / Iruma Airbase
Photographer:Mosquito60
操縦席は、故高橋圭三

ゼロ戦より一回り大きい、非常にシンプルで美しい機体だと思う。
重戦闘機だが、格闘戦も得意とする。特に特徴の際立たない、つるんとした機体だったが、卓越した能力秘める。
アメリカの評価では、日本の最高傑作機(注2)。
戦後の米軍テストによる格闘性能の評価は、連合軍戦闘機で最も格闘性能の良い英空軍スピットファイアより、疾風の方が更に上とされた。

このような戦闘機は、軍の要求も厳しいが、設計者の理念が極限状況を前提として、具現化している。その究極の選択を確認。
懸命に製造した日本の技術、工業力を目の当りにし、戦争という、ある種ネガティブな状況下とはいえ、民族の誇りや実力、信念を実感できるのは、実機を前にしたときだ。

四式戦の開発、製造を行った中島飛行機(注3)は、終戦後、解体されて12に分社化された。
その1つが、富士重工業(スバル)である。
また、富士精密工業は、プリンス自動車工業(スカイラインで有名)の前身(後に日産自動車に吸収合併)だった。

戦前からの自動車メーカーであったトヨタや日産でさえ、終戦後の新規開発は難しく、海外メーカーの模倣や、ライセンス生産で凌いでいたが、中島飛行機を前身とする富士重工業と、プリンス自動車工業は、技術提携に頼らず、自力開発を行った。

特攻平和会館の展示室は狭く、機体を遠くから俯瞰できない。そのため、全体のシルエットを確認しにくいのは、残念だった。
裾野の広い、航空機製造技術は、戦後、日本の発展の礎となったのは事実である。
所が、我が国には、国立の航空博物館がない。民族の誇りとして、軍用機を含めた航空技術の歴史を、後世に紹介する場は、是非とも必要だと思う。

中島飛行機のエンジニアであり、戦闘機「隼」を始めとする軍用機の設計に携わった、糸川英夫博士は、戦後、国産ロケットの研究開発に尽力された。
最近、探査衛星ハヤブサの帰還は日本国民を感動に導いたが、小惑星イトカワと、探査衛星ハヤブサの命名は、糸川博士の業績を記して実に嬉しかった。

Ki-84ko Frank 画像は、「Pacific Wrecks.com」から。
同サイトの、 「Ki-84ko Frank」(疾風)のページでは、次のように紹介されている。
戦後の米軍によるテストでは、疾風は、高度20,000フィートにおいて、P-51やP-47よりも早いことを示した。もっと早い時期に投入されるか、より改良されていれば、疾風は、確かに太平洋において、更なる痕跡を残せた。

中島 四式戦闘機 疾風 以下、「Pacific Wrecks.com」の「疾風」の画像説明から。

履歴
1945年にクラーク空軍基地(フィリピン)に捕獲された「疾風」。
評価とフライトテストは、ATIU(注4)にて行われ、エアクラフト輸送船「USS ロングアイランド」によって米国へ運ばれた(画像中 / 輸送船の甲板上の疾風)。

修理
1952年、オンタリオ航空博物館オーナーのエドワード マロニーに払い下げられ、飛行可能状態まで修復された。

展示
Planes of Fame Museum(マロニーの博物館)で1978年まで展示された後、日本に運ばれ、1991年に閉館するまで、嵐山博物館で展示された。今日、「神風パイロット平和博物館」で見ることができる。
画像下は、日本に運ばれ、整備終了後のものと思われる。担当は富士重工業。

注1:四式戦(疾風) 帝国陸軍から、「大東亜決戦機」として期待され、大戦後期の主力戦闘機として各飛行戦隊隊に配属され、昭和19年中期という戦争後期登場ながら、製造数は、零戦、隼に次ぐ約3,500機に及ぶ。
実戦では、「格闘戦も出来る重戦」「軽戦(一式戦)と重戦(二式単戦)の良いとこ取り」とも評価され、また、高高度での操縦性や速度、防御の点で本機の右にでる日本機はなく、非常にバランスの取れた機体だったようだ。
ただし、精度の高い製造技術を必要とした、高性能新型エンジン「ハ45」の不調や、オイル、ガソリン、交換部品の品質低下、整備力低下等により全体的に稼働率が低かった。
機体の防弾防火については、従来の陸軍戦闘機に順じ、全ての燃料タンクには、防漏ゴムを張ったセルフシーリング式とし、操縦席前面は、70mm厚の防弾ガラス、操縦席後方には、13mm防弾鋼板が装備されている。

注2:四式戦(疾風)は、アメリカ軍のテストにおいて、ハイオクガソリンと高性能スパークプラグを用い、最高時速687Km/h(6,096m)をマークし、上昇力、運動性能、防火防弾、火力ともに高評価され、「日本の最優秀戦闘機」と確認される。

注3:中島飛行機が設計製造した主なファイター
一式戦(隼)、二式戦(鍾馗)、三式戦(飛燕)、四式戦(疾風)、五式戦(飛燕の機体に、三菱重工業製金星62型エンジンを搭載。イギリス空軍博物館(Royal Air Force Museum)に、エンジン・機体共、極めて良好な状態にレストアされ、保存されている。現存する唯一の機体)。

注4:ATIU(Air Technical Intelligence Unit)(航空技術諜報部隊) 米、オーストラリア軍をメンバーとして、太平洋戦争開始翌年の1942年に組織され、1943年、ビリスベンにあるイーグルファーム飛行場でシークレット作戦がスタート。
捕獲した日本の様々な軍用機が持ち込まれ、修復し、徹底的に分析、テストされ、作戦にフィードバックされた。
(彼らの戦略には言葉を失う。精神力だけでは難しい・・・)