興味の壺

メカデザイン、機器デザイン、プロダクトデザイン、伝統的アーキテクチャー等を紹介します。

スーパーマリン スピットファイア

ロンドン郊外にある王立空軍博物館。三菱ゼロファイターともバトルした英国の名戦闘機、スーパーマリン スピットファイアを見るために訪れた。

王立空軍博物館は、セントラルロンドンから、地下鉄ノーザンライン線エッジウェア行きに乗り、コリンデール駅まで、およそ30分。
駅を出て左折し、10分程度歩かなければならない。案内標識が出ているので迷うことはない。

入場無料である。
広大な敷地に、格納棟がいくつも並んでいる。もの凄い広さ、展示量に驚く。
入場口の前の庭には、スピットファイアが―(画像最下段)。

Supermarine Spitfire LF Mk IX Supermarine Spitfire LF Mk IX
参照:Wikipedia

身近で見るスピットファイアは、ゼロ戦より少し大きく見えたが、大きさはほとんど同じ。
水冷X型エンジンを積む機体は、スマートで美しい。

スピットファイアの特徴である、オーバル型の主翼が何とも綺麗。
機体全体も、曲線でまとめられていてファイターでありながら優しい印象である。
しかし、この機体デザインも要求された性能を満たすための結論に他ならない。

スピットファイアは 、バトル オブ ブリテンで、イギリス制空権を狙うドイツ空軍の手から、英国を死守した戦闘機として有名。
余談だが、バトル オブ ブリテンを題材にした、「空軍大戦略(邦名)」は、日本でも上映され、観に行ったことがある。

建物に入ると、すぐ横の壁面に多きな銀色のスピットファイアの模型 (実機?) が、飾ってある。
まさしく英国の誇りだ。

Supermarine Spitfire MkU Supermarine Spitfire MkU
参照:flickr

[参照]
1943年2月からポートダーウィン上空で、オーストラリア空軍に属するスピットファイアは、日本海軍の零戦と数次に渡って戦った。

非常な長距離を長時間飛行して来る零戦を、レーダー管制にて待ち伏せし、迎撃するというスピットファイアにとっては極めて有利な状況だったが、結果は零戦の5機喪失(未帰還3機)に対し、スピットファイアは、喪失42機(未帰還機は26機)と惨敗を喫した。

オーストラリア空軍のパイロットの多くは、欧州戦線で、ドイツ空軍の高速機へ対し、スピットファイアの旋回性能を生かした格闘戦で対抗してきた経験から、米空軍戦闘機隊の、「一撃離脱戦法に徹すべき」という忠告を聞かず、零戦が得意とする格闘戦に正面から挑んだ結果、多くが撃墜された。

太平洋戦線においてスピットファイアが奮わなかった主因は、環境に阻害されて性能をフルに発揮できなかった点がある。出撃しても機体故障のために未帰還となる機体が続出した。

王立空軍博物館の庭にあるスピットファイア 英国が西部戦線に集中するため、日本に対しては旧式のMk.V機を用意していたこと。
赤道に近い地域で、地上での高温・高湿が機体を痛め、徹底的なメンテナンスが必要だったが、イギリス本土から遠く、交換部品、予備エンジンが不足していた。
また、イギリスから送られてきたスピットファイアは、旧式のMk.Vで、更に防塵用フィルターが装備されていたため、最高速度が30km/h程低下していた。

これらの問題が解決されることはなく、オーストラリア空軍は、Mk.VIIIに機種交換するまで悩まされた。 (ウィキペディアより)